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「これからはDevOpsの時代が来る」中途入社1年目のエンジニアだった私がカンパニーを立ち上げた理由

デブオプスリードカンパニーは2021年の7月、日本でDevOps(デブオプス)を広めるため設立されました。DevOpsは、Development(開発) とOperations(運用) を組み合わせた混成語で、開発担当者と運用担当者が連携して協力する、さらに両担当者の境目もあいまいにするソフトウェア開発手法のことです。4年目に突入したデブオプスリードカンパニーについて、現在の取り組みと今後の目標をカンパニー社長の廣石雄大さんに聞きました。


事業内容について

-デブオプスリードカンパニーではどのような事業をされているのでしょう。

事業内容はコンサルティングと技術支援が混ざったようなイメージです。単に自動化ツールの導入や技術支援をするのではなく、プロダクト開発全体を見渡して、ボトルネックを洗い出し、それに対して適切に技術で解決します。具体的にはバリューストリームマッピングなどを使ってプロダクトのアイデアが出てからリリースされるまでの業務の流れを可視化することで、部門間の連携の無駄を洗い出して改善したり、テストからリリースまでを自動化したりといったことを行っています。DevOpsには正解のやり方が存在しないので、常にお客さまのプロダクト開発をどうしたら最適な形にできるのかを考え、トライ&エラーで実現に向けて取り組んでいますね。

メンバーズに入社するまで

-もともとは現場でエンジニアをされていたと伺いました。ITの世界に飛び込んだ理由はなんでしょうか。

当時はまだITが生活の一部という感じはありませんでしたが、これからITというものが自分たちの生活の一部又は中心となる社会が来るだろうと直感的に思い、その技術を知らずにこれからの人生を生きていくのはとても怖いことだなと感じたためプログラミングはまったくの未経験でしたがITの世界に飛び込むことを決めました。
そこで私はとにかく広く技術を扱えるというところで新卒で大手SIerへの入社を決意しました。

-新卒入社した当時のエピソードを教えてください。

入社前に配属先の希望を聞かれましたが、私は環境がないと甘えるタイプなので、一番厳しい部署に飛ばしてくださいと入社前にお願いしました。
配属されたのは潰れかけの支社でした。ある意味で希望通りの厳しい部署ではありますが少し面くらった感じもありました。(笑)
当時私はその支社の業績を立て直すことを目標として自分自身に課しました。新卒の一番最初の仕事は、仕事をもらうために取引先に頭を下げて回ることでしたね。誰かに命じられたわけではなくて、自分で立てた目標を達成するために、自分で決めてそうしました。

-一番厳しい部署に飛ばしてくださいというのはすごい覚悟だと思います。

それくらいやらないと取り柄がないと思っていました。同世代の人たちに対抗できるものは実績しかない、まずは実績を出さないと、と思ったんです。

-強い思いを感じますが、そこから転職を決意された理由はなんでしょう。

当時私が応募したのはメンバーズキャリアというグループ会社で、エンジニア部門の立ち上げメンバーを募集していました。将来会社を立ち上げたいと思っていた自分には、組織の立ち上げを経験できることが魅力的だったんです。当時エンジニアは数名しかいませんでしたが、理想のエンジニア組織を作りたいという思いで入社しました。

入社後、カンパニー設立まで

-1年半現場を経験しデブオプスリードカンパニーを立ち上げました。設立の経緯を教えてください。

前職のSIerでアメリカのプロダクトを日本向けにローカライズして展開するプロジェクトを主に担当していたのですが、その時に初めてDevOpsというものに出会いました。
海外ではDevOpsの取り組みが多様な形でおこなわれているのに対し、日本ではほとんど取り組まれていない現状が分かったのです。また、開発現場でエンジニアが疲弊して辞めてしまったり、そんな状況に危機意識を持ちつつも改善できなかったりということに、ずっと課題意識を持っていました。そういった経緯もあって、日本でもっとDevOpsを広めていきたいと思ったのです。
メンバーズに入社後も、その思いはずっとあたためていました。そんな中、カンパニー社長が公募されていることを社内のメールで知りました。深く考えず、「とりあえずアクションを起こさなければ」という気持ちで応募したことを覚えています。カンパニー社長への立候補は、自分で会社を立ち上げるよりも圧倒的にローリスクです。このチャンスに飛び込むしかないだろうという気持ちでしたね。
実は小学生の頃の人生年表に、27歳で自分の会社を作るという目標を書いていたんです。振り返ってみれば26歳でカンパニー社長となり、小学生の頃の夢を1年前倒しで実現した形になりました。

-カンパニー立ち上げ当初、周りの方々の反応はどうだったのでしょうか。

当時、エンジニアでカンパニー社長に立候補したのは私が初めてだったと思います。
後でいろいろな方に聞いたのですが、どうも「中途1年目のなんかよくわからないやつが応募してきたぞ」と思われていたようです(笑)。
カンパニーを設立する際に役員陣に事業案をプレゼンをするのですが、当時の自分のプレゼンは正直、下手だったと思います。今も苦手ではありますが、、、
そのため最初は「よく分からない」という感じの反応しかもらえませんでしたね。
事業案を提出する際に、この案に沿ったプランを提出してくださいというリストがあったのですが、当時はクラウド事業やアプリ事業が期待されていたと思います。
DevOpsの事業は期待されているものとは少し逸れており、役員陣も面食らっているように感じました。それでも私は、「これからはDevOpsの時代が来る」と確信していました。
実際の開発の現場はどんなことに困っていて、どんな支援があると助かるのかといったヒアリングを入念に行なっていたからです。
エンジニアをしていたときも絶対に必要な開発手法だと思っていましたし、これからDevOpsが必ず注目される時がくると感じていました。
周りの方のサポートも受けながら、事業プランを何度も練り直し再度プレゼンの機会をもらいました。
役員陣に強い想いをぶつけ、それが通じて設立に至ったと考えています。

カンパニーの今とこれから

-立ち上げ当初と比較して、DevOpsが世の中に浸透してきているという実感はありますか。

事実として、新型コロナウイルスが流行してから風向きが変わりました。強制的に自分達の状況を見直し、変えていかないと生き残れないという意識が世の中の企業全体に芽生えたと感じます。
カンパニー立ち上げ当初、お客さまとの商談の際はいつも「DevOpsって何?」という感じで、DevOpsに関する基本的な説明をしていました。
DevOpsとはどういうものか、なぜ今必要なのかといった解説をし、DevOpsの必要性を理解していただくことがマストだったのです。それが年々、お客さまのほうから、DevOps的なことをやってほしい、やりたいという声があがるようになってきました。DevOpsをやったからすぐに効率化や生産性向上とイコールになるわけではないのですが、必要な取り組みだと皆さんに感じてもらったことで、必然的にDevOpsの考え方が求められる流れになったと思います。

新型コロナウイルスが流行してから風向きが変わり、お客さまのほうから、DevOps的なことをやってほしい、やりたいという声があがるようになりました。

-「DevOpsの時代が来る」という読みが当たった形になったわけですね。今後、事業を通じて世の中の課題をどんな風に変えていきたいですか。

私はITの本質は”余白”だと考えています。
古代ギリシアの哲学者であるエピクロスが「生活の公の部分が適正な大きさを超えると、健全な生活が損なわれ、精神を再生するために必要な休息の時間を奪ってしまう」と言っているように、休息は単に身体の疲れを取るためのものではなく、何もしないことが心を解放し、創造力を生み出す源となるということです。
つまりその創造力を生み出すためには余白が必要ということです。
私たちがITを発展させてきた現代社会はどのようになっているでしょうか?
生産性と効率化の先には更なる仕事が待ち受け、社会のこと家庭のこと、ひいては自分自身を見つめる時間が時代とともに少なくなってきているのではないでしょうか?
ITはまだ潜在的な可能性の一部しか見せておらず、それによって何ができるようになるのかはまだ見えておりません。
私たちがその可能性を理解したとき、本当の価値を初めて最大限引き出せるのだと思います。
そのためはまず私たちがITに振り回されることなく、それを賢明にコントロールする術を知らねばなりません。
世の中の課題と向き合うためにはまずはその”余白”から。
ITの本質を見つめなおし、みんなが未来のことを考えられる社会にしていきたいと思っています。

-デブオプスリードカンパニーでは毎週金曜の午後は丸々勉強会に充てるという取り組みをしているようですが、それも上記の考え方に基づいたものなんでしょうか。

はい、その通りです。社員が案件業務に走りっぱなしであっても、燃え尽きることなく成長してくれればそれはそれでいいのですが、私だったら疲れてしまいます。だから就業時間内に勉強ができる仕組みを制度化しました。せっかくいいメンバーが社内にいるので、仕事に追われて視野が狭くなってほしくないんです。生産性をあげて、成果を出して、それで時間が余ったら僕はノータッチなので自由に使っていいよというスタンスです。そうでないと、生産性をあげる意味がないですし、残業するほうが儲かってしまうようにはしたくないんです。

金曜日の勉強会の時間を使い、クライアントの問題をメンバーで相談しあって解決したこともありました。案件の担当者とほかのメンバーが知恵を出し合い方針を決めたんです。それをお客さんに提案すると、お客さまから「そういう取り組みいいですね」とほめてもらえました。普通は各々の仕事があって、自分の担当外の案件にこうした時間は取れない会社がほとんどだと思います。私たちのカンパニーではあえて余白の時間を作ることで、個々のスキルや経験値を組織の中で最大限に活かすことができるよう取り組んでいます。

-いいメンバーが多いという話が出ました。こういうメンバーが多いなどカンパニーの特徴などはありますか。

「他者のために生きることができ、学ぶことによって善き存在となる。」ひと癖ありながらもそんな熱意をもった人が私たちのカンパニーには多い気がしますね。
もっとこうしたほうがいいんじゃないか、こうしたらもっと組織が良くなるんじゃないかとか、だれかのために仕事をするという思いが強く、日々さまざまな提案をしてきてくれます。

聞き分けがよくて、卒なく仕事をこなしてくれて、最低限の成果は出してくれる、いわゆる「いい人」が多い組織であれば管理する側は楽でしょうが、そこから革新的なものは生まれないのではないでしょうか。管理側が大変なのは喜ばしいことです。
物怖じせずに自分のアイデアを発言できる、よそに出しても恥ずかしくない人が育っていると思いますね。

若手社員もすごく優秀だなと思います。どうしたらDevOpsの取り組みでお客さんの仕事をより良くできるか常に考えているんです。そのうえで魅力的に提案する力もあるので、お客さまからも積極的な姿勢が評価されていると思います。

-個性的なメンバーが多そうで、今後の成長が楽しみですね。最後に、廣石さんの仕事のやりがい、今後の目標をお聞かせください。

カンパニー社長になり、強制的に視座をあげないといけない環境でしたので、視界が開けた気がします。エンジニア時代もやりたいこと、実現したいことのビジョンがあったのですが、どこか夢物語のように感じていました。それが今は、実現の仕方が少しずつ見えてくるようになりました。
自分が社会に対してどう貢献していけるか、進むべき道が少しずつ明確になりやりがいを感じています。

私たちが今当たり前のように生活し生きていられるのは先人たちが紡いできたものの結果です。
私も古代の人々や先人達のように何世紀も先の未来を視野に入れて世界を設計する知恵を持ち、100年後200年後、もっと先のまだ見ぬ未来の子どもたちのためにバトンを繋いでいけるように、今私たちの世代が責任を持ってどこまでやらないといけないのかを考え実行していきたいです。

とは言っても私一人の力でどうこうできる話だとは思っていません。
何かを変えていくと言うと180度変えるような大きな変化をイメージする方もいますが、そうではなくたった1度。その小さな変化が未来では大きな変化となっているはずです。私たちが生きている間にその1度の変化が実を結ぶとは限りませんが、未来のために守るべきものは守り変えるべきものは変える、自分たちの信じる方向に少しでも変化を起こしていきたいと思っています。

100年後200年後、もっと先のまだ見ぬ未来の子どもたちのためにバトンを繋いでいけるように、自分たちの信じる方向に少しでも変化を起こしていきたいです。

編集後記

金曜日の午後の勉強会やフルリモートでの働き方など、メンバーズの中でも独自の制度を持つデブオプスリードカンパニー。
その裏にある、メンバーの個性やキャリアを大切にしている廣石さんの考え方が見えました!

取材/岩本 多美
文/吉田 拓望
写真/谷貝 玲


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